fukushima「想定外」は責任回避
 3月11日に発生した「東日本大震災」は、東北地方、関東地方に、かつてない規模の被害をもたらしました。さらに、その影響は日本全国に及んでいます。また、福島で起きた原発事故は、大きな脅威を生み、いまだ予断を許さず収束もままならない状況が続いています。
 わが国は、現在、まさに未曾有の国難の真っただ中にいます。
 国内観測史上最大というマグニチュード9・0の大地震が起きたこと、場所によっては30メートルを超す大津波が起きたこと、原子力発電所で炉心溶融(メルトダウン)といわれる大事故が起きたこと等は、現代人に対する大いなる警告ではないでしょうか。
 3月11日以降、巷間に多く聞かれる言葉に「想定外」があります。
 教祖様の御道話にて「現代人は、物質科学が驚異的に発達したため、自然の法則、神の道を見失い、自力によって、いっさいのものが解決するかのように思っている。そして自然の道理より外れ、そのために発生した矛盾が、人類自身に集まって、今日の世界は、最大より最小に至るまで、あらゆる分野にわたり混乱と摩擦を引き起こし、まさに人類滅亡の前夜に迫っている」と拝聴しております。
 前述の「想定外」という言葉は、まさに現代人が「自力によって、いっさいのものが解決する」かのように過信している、責任逃れの捨てぜりふではないでしょうか。
 「もっと高い防潮堤を築いておくべきであった」という意見に対しては、「想定外」という言葉が返ってきます。その背後には「そんな高い防潮堤を築くにはコストがいくらかかるか分からない」という費用対効果重視至上主義の驕りが見え隠れしませんか。
 「東日本大震災」直後に起きた「O111」や「O157」を原因とする生肉食中毒事件の背後にも、コストを低くして利益を上げようという驕りが見えるような気がします。
 3・11大震災を機に、われわれは「紙一枚隔てたなら、ものを見破ることができないような浅薄な肉眼に捉われた、刹那的感情」を深く反省し、「自然の法則、神の道」に素直に従う生き方に改めるべきではないでしょうか。       (梓)